旅のおはなし of 想いのとどくノートブック


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とっぷ.jpg余白.jpgはじめに.jpg余白.jpgしょうかい.jpg余白.jpgうぶごえ.jpg余白.jpg震災ページ.jpg余白.jpgそれから.jpg余白.jpgりんく.jpg





インドネシアからとどいた『絆』(2013/3/14)  

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2008年2月、ジャカルタ。
都の劇場で高校生の演劇の発表がありました。
偶然それに居合わせて、一人の少女に出会いました。
日本語を少し話す女の子“ミサキ”(自ら考案した日本名らしい)
日本語の授業があるそうで、先生を紹介してくれました。
“シチ・センセイ”
素敵なセンセイ。
で、後日その学校に訪問し、日本語の授業をひとコマ受け持ち特別授業をする機会を頂きました。


2013年3月11日、スマトラ沖地震の被災地、インドネシアのバンダアチェで東日本大震災の犠牲者を追悼する式典が開かれ、地元の学生達らが、『絆』の人文字をつくり復興を祈念してくれました。
その知らせを聞き、人懐っこい、きらきらしたインドネシアの人たちの笑顔を思い出します。

同じ被災国として、『絆』の想いを頂ました。
感謝の気持ちです。

(写真はハイスクールの学生と校長先生たち)

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インドのゲロのお話し(2012/9/8)  

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最近車中で、ラジオを聴いていると、「ラジオナマステ、ときどき古家学」という番組があり、インドと日本の文化の違いを話しておりました。
日本でいう、子供に「人に迷惑をかけてはいけません。」としつけします。
インドでは、「たくさんの人に迷惑をかけて成長するから、人の迷惑を許しなさい。」と言う。
わたし、インドのお母さんの、ゲロはいた直後のそんなことなかった風な顔を思い出しました。

ネパールのルンピニーからインドのバラナシまでの、バスと国境越えと雨とジープとシクロと電車とタクシーとシクロの長い旅のうんざりする道中のお話です。

人口12億人のインド。
とにかく人が多い。
日本でいう5人乗りの車に11、12人乗る。 前列3人、後列4人と子供が2人膝の上。で、トランクに4~5人。体が出てる人もいる。
わたしと妻は、後列に座る。
で、なぜか、わたしの妻の膝の上にインドの子供がひとり。しれーっとすわっとりまして。

なんだこいつ。
あー ここはインドだ。
しかたあるまい。
なんて。
で、その状態で、数時間。
途中橋が壊れて大渋滞。
数時間動かない。
トランクの男たちは降りたりしてる。
後列の私たちは、動けない。
妻は膝に子供ひとり。

なんだこの国は。

で、車は動き出す。

悪路、悪路、悪路。

で、膝の上の子供がゲロを吐く。

妻の服とスカートにゲロがつく。

わたしたち、げんなり。

子供のお母さん、ゲロなんて始めからなかった風に外ばかりを見ています。
子供、ゲロなんて始めからなかった風に外を見ています。

わたしたち、げんなり。

インド、一ヶ月目くらい。

げんなりにも慣れて、げんなり。

着いたよと言われて、降りると、目的地はどこにもない。 駅はどこだと怒りをあらわにすると、駅はずと向こうで、ここからは車は入れないから歩くか、シクロ(自転車タクシー)に乗れと言う。

わたしたち、げんなり。

で、むかつくからあるく。
道わからなから線路伝いを歩く。

インドのげんなり旅のほんの一幕でした。


「たくさんの人に迷惑をかけて成長するから、人の迷惑を許しなさい。」

この言葉、いい言葉。

でも皆さん、自分の子供がよそ様の衣服にゲロを引っ掛けたなら、必ず謝りましょう。

あっ、そうそう、ようやくついた駅で、押し問答して手に入れたチケット。
さてさて。
で、電車はというと、6時間遅れてきました。

「たくさんの人に迷惑をかけて成長するから、人の迷惑を許しなさい。」


インド!


写真はコルカタ。このタクシーの量。奥には駅の入り口。入り口にも近寄れないほどの人だかりです。

『死の鉄道』タイ・カンチャナブリ(2012/8/21)  

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▲ 泰緬(タイメン)鉄道を再び活用しようと言う動きを、最近ニュースでみました。
ミャンマーの著しい経済の発展の為だそうで。
物流の鎖国状態であったミャンマーへ、隣国タイからの陸路輸送が可能になり、各企業が注目している。
だそうだ。

で、それ以上の報道はなされませんでした。

▲ タイのカンチャナブリ。
クワイ川流域の美しい静かな街です。
「戦場をかける橋」という映画は有名でしょう。そのモデルとなった橋があります。
(この映画はフランス人が作りました。史実とは異なります)

タイのフアランポーンからバンに乗り、カンチャナブリにいきます。
途中休憩の際、「君たちは日本人か?」と尋ねる人がありました。
同乗していたオランダ人とマレーシア人の男性です。
年配のオランダ人は英語が話せず、若いマレーシア人の男性が通訳してくれました。

「私のお父さんは、日本人に殺されたんだ。」

年配のオランダ人は笑みを作って話します。
それを陽気にマレーシア人が通訳してくれます。

「私は日本が好きだよ。日本製品は素晴らしいものがある。料理もね。」


この場所で昔戦争があり、日本人が人を殺害したと言う程度の知識で、ほとんど観光目的でこの地を訪れていました。

戦争はまだ“ここ”にあるんだと、自覚し、自分の無知を恥じました。
彼との出会いは、今でも強くこころに突き刺さっています。


▲ 街に着き、JEATH戦争博物館に行きました。

泰緬鉄道とは、第二次大戦時に日本人が指揮したタイとビルマ(現ミャンマー)を結ぶ鉄道です。
過酷な環境下での作業となり、5年の歳月を必要とするといわれた工事を、わずか16ヶ月で終わらせたと言うから、その労働条件がいかに過酷であったか想像がつきます。
その労働者となったのが、現地人や捕虜でした。
タイ人、マレーシア人、ビルマ人、イギリス人、アメリカ人、オーストラリア人、オランダ人などが、過酷な労働と、劣悪な環境下で労働の為の栄養失調とコレラやマラリアなどの伝染病で沢山犠牲になりました。
このことから、『死の鉄道』とも呼ばれています。
犠牲者数は、資料により異なりますが、5万人から20万人といわれています。
(資料を出す国の都合によりこれほどの違いがあるということです)


▲ 毎年8月になると、色々な思いを抱きます。
6日は広島、9日には長崎、15日は終戦記念日。
新聞やテレビでは戦争の悲惨さを特集し、語り継いでいます。
日本に原爆を落とし、終戦に陥れたアメリカを強く意識させるためのプロバガンダとも受け取れる報道が多いと、わたしは感じます。

今年は例年と違った様相です。
ロシアも含め領土問題が深刻です。

韓国、中国との領土問題をどう感じますか。
日本が絶対的に正しく、彼らの主張は完全に間違っていると言えるでしょうか。
各国が自国の都合のいいように国民に教育をするのはどこの国でもあります。
特に自国を打ち負かした国にはより強い感情を持つようにプロバガンダするものです。

証拠に、カンチャナブリでの日本人による捕虜や現地民の大量虐殺があったことは何故か知る人は少ない。
広島原爆投下時、約14万人の死者。長崎原爆投下時、約7万人の死者が出ています。
死者数だけ見ると、日本人が忌み嫌う原子爆弾の過ちと同等か、それ以上の過ちを犯しているのにも関わらず。

もし、もっと早く泰緬鉄道での史実を知っていればと後になって感じます。
オランダ人のおじさんとの会話の内容には違いはなくとも、人間としての向き合い方は、ぜんぜん違っていたに違いないと。

▲ わたしたちの足元には、さまざまな歴史があります。
その地の歴史を多角面に知ること。
それを客観的にとらえること。
そして理解すること。

知らないということが、最も恥ずべきことと、感じます。

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写真は、クワイ川と橋。タイ語、英語表記のみの展示と、マイペンライ友の会の想いと翻訳作業。

コーン島の夜のお話(2012/6/8)  

ラオスからカンボジアに陸路で超えるために、コーン島に数日滞在しました。
ラオス南部の島で、実際は広大なメコン川の大きな中州です。
で、この島は水道がなく、電気は夕方の2時間しか点きません。
なんと不便な環境なんだろーと思うかもしれませんが、旅をしているとこんな街はよくあります。
水はメコン川から。夜は早く寝て、朝太陽と共に起きたらいいんです。
旅人相手のレストランも8時くらいで締まる。
滞在中一日だけ、あるレストランでステファンと言うベルギー人の男性と遅くまでの飲んでしまって、帰り道が真っ暗で途方にくれたことがありました。

が、漆黒の静けさの中、
あまねく星が矢のようにとげとげして、
牛の鳴く声に耳を澄ませ、
ほんのちいさなカエルが、巨大毒蛙ではないかと疑い、
草木のこすれる音に風を見ました。

ここは地球の夜のまんなかだー

自然はいともかんたんにわたしのこころをときめかしてくれます。

写真は、メコン川とゲストハウス、くらやみレストランのタイ・カレーと奥さん、ステファンと奥さんとボーイの子。
で、牛。

あーまた行きたくなってきたなー

あっステファンの宣伝。FACTS 2008に関わっていたみたい。
一緒に食事したりお茶したりしながら熱心に、映画「アキラ」や押井守「メモリーズ」なんかの話をした。

あーなんか、黒澤明の映画「夢」について熱く語ってくれたアメリカ人いたなー
「わたしはアジアの血が流れてる」とか言ってたなー

そんなたびのお話です。
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凧のおはなし(2012/5/4)  

ジャカルタのショッピングモールで凧を発見。すぐに買いました。大きな広場があったり、いい風が吹いたらいつも凧を飛ばしました。
なんだかねー風や空や大地や人がたった一つの凧でつながる様な感じでですね、気持ちがいいんです。
凧を飛ばすといつも人が集まってきます。子供たちが寄ってきても持たせてくれとせがみます。
で、持たせてあげてわいわいします。
で、すぐにあたりはまっくら。
空き缶に50mもない短い糸を巻き、ボロボロので安い凧ですが、なんだか宝物でして、バックパックに大事に忍ばせて旅をしました。
そんなこんなで凧が好きになりました。

インドの黄色い空を見上げて、急に良い思いつき。
日本に帰ったら凧あげ大会をしよう。
それから帰国後、凧あげ大会を開催するに至りました。

凧は二つ。インドネシアのジャカルタで買ったやつと、タイのバンコク、王宮近くの広場で買ったやつ。
タイで買った鳥のデザインの凧は、凧あげ大会の下見のとき、やなせが強風に対応できずに糸を切らせ、遠くの木の上に引っかかって回収できませんで、嫌いになりました。
大事な旅の品ですのに、、、と。

まあとにかく凧は面白い。

写真はタイの王宮広場。風の強い日だけ凧がわんさかと売られている。それだけで何かのアートイベントかと思うくらいです。で、二枚目が、愛用の二つの凧。手前がインドネシア購入。奥がタイ産、鳥型凧。最後に、素敵なひらめきをくれた、インドはコルカタの黄色い空。(一切画像の加工はしておりません)コルカタの空にも、鳥のように凧が飛んでいたなー
ええなー

またいつか、凧あげ大会したいと思います。
是非ご参加を。
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モンゴルのナーダム(2012/5/3)  

モンゴルのウランバートルに行きました。ある女性が当時ウランバートルで日本語教師をしておりまして、ナーダム祭があるから来ないかと誘われ休みを取っていきました。
街の小さな日本語教室に勤める女性は、わたしの高校からの同級生で、初めて外国に旅に出たのは彼女からのお誘いからでして、よきパートナーで、いまはわたしの奥さんです。

彼女のホストファミリーやその親族でキャンプに行きます。
肉。ひつじです。わたし、苦手。
ありがたく頂きます。
で、馬に乗る。が、わたし、いつも雪駄とサンダルで旅をします。ですので馬を乗るときも、サンダル。5分ぐらいで足首から血が出ました。モンゴル人にサンダルで馬乗るなよという顔をされました。
誰かが手綱を持つとかじゃありませんよ。馬の持ち主が前を走る。それについていく。ひたすら走る。なんか、「チョー」とかいってる。馬への合図みたい。
わたしも「チョー」っていってみる。
足から血が出る。
楽しかった。

それ以外にも色々連れて行ってもらいました。

日本語教師のボスのノルジマさん、夫でポリスマンで柔道の先生のバートルさん、ボルガ(長娘)にエリカ(次女)ありがとです。楽しかった。

しかし、モンゴル語はよくわからなんだ。ありがとうは、「バイラスラー」、川は「ゴシュ」一度も正しい発音ができなかった。妻はそんなモンゴル語をある程度は話ができていた。やるなー



CIMG2327.JPGナーダムの写真CIMG2369.JPGホームステイ先の親戚IMG_9712.JPGホームステイ先のご主人

IMG_9731.JPGエリカとゴシュ遊び。ゴシュが上手く言えないIMG_9755.JPG左から、ガイド・ノルジマさん・エリカ・バートル・私・ボルガCIMG2381.JPG馬。サンダル。

CIMG1994.JPG日本語教室の生徒CIMG2354.JPGボルガと従姉妹モンゴルマン059.jpg妻と馬。













チェンマイのソンクラーン(2012/5/3)  

2008年の旅の目的のひとつに、このソンクラーン祭がありました。このお祭りは、旧正月を祝うもので、仏像をお清めするといったものでしたが、いつの間にか、水を掛け合うものとなったそうで、、、。
簡単に言いますと、水掛け祭り。なんともテンションのあがる名前のお祭り。とにかくこれに参加したくて、チェンマイにお祭りの10日ほど前に入って宿を確保したくらい。
で、今か今かとまっておりましたら、街が不穏な空気に包まれ始めました。お祭りの2日ほど前から、民家の玄関に大きなバケツが用意されるようになりました。
街に水てっぽうが売られるようになりました。
そして、ニヤニヤしたこどもが現れます。
でですね、そのこどもやらがまだお祭り始まっておらんのですが、水てっぽうを発射するようになります。
で、こんな具合に。





えーご覧のとおり、わやくちゃです。地元の人、観光客ごちゃ混ぜで祝っております。
これ、めっちゃ楽しかった。
で、めっちゃしんどかった。
タイ全土、ラオスやミャンマーでも同様のお祭りがありますが、ここチェンマイが一番大規模だそうで、でかすぎ!
丁度お城のお堀みたいな大きな四角い堀があり、その堀がでかい。一周ゆっくり水掛ながら、水掛けられながら、回ると4時間くらいかかったかな。
しんどー
なんやよーわからんくなってきます。

で、ホテルに帰り、ようやく一息。
もー外には出たくない。でも、晩ごはんの時間はやってくる。
で、洗濯したてのパリッとしたシャツを着てホテルを出ようとしたら、

宿の前の家のこどもが、ニヤニヤ。

結局レストランまでに、おっちゃんや、おばちゃんや、にいちゃんや、ねえちゃんがニヤニヤしておりまして、
結局、ビシャビシャでごはんを食しました。

次の日、朝ごはん食べに、外出。

ビシャビシャ。

昼ごはん食べに、外出。

ビシャビシャ。

晩御飯は、、、食べにゃいかんし、外出。

ビシャビシャ。

こんな感じ。

が、

三日間も続く。

オ・ソ・ロ・シ・イ

お清め。お祝い。めでたいものです。
どーか皆様、一度体験しておくれませ。

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ウルトラマソテイガ(2012/4/4)  

ウルトラマンテイガ.JPGえーふざけた写真を一枚。
ベトナムです。中国製品。
「ウルトラマンティガ」と題したフィギュア。
まちがいさがし。
大きな写真でどーぞ。



インドネシアのタナトラジャ (2012/3/4)  

トラジャ.jpgインドネシアの東の島、スラウェシ島に行きました。タナトラジャと言う街があり、そこがええ街でした。あまりにもええ街なんで10日程滞在しました。
人がいて、牛がいて、鶏がいて、少しの電気と、少しの食料と、少しの物品を、大切にしながら生活する姿勢は、なんとも心地よく、日本での生活が無駄なモノだらけなのではないかと考えさせられます。
とにかく人がよくてですね。そんな人懐っこい人の一人で、彼は「ピーター」英語が話せるとのことで私に話しかけてくれまして、始めの一言は「what are you doing here?」(キミラ、コンナトコロデ、ナニヲシトルノカネ)でした。
そこからお家に泊まったり、学校にお邪魔したり、文化祭みたいなのに招待されたりと、、、あーこういう出会いはうれしいもので、ながくながく居座ってしまいました。
あー彼の家でパームワインを飲んだ。パームワイン。椰子のワインです。ピーター.jpgわたしがお宅訪問の手土産に少し高いドリアンを買いまして、すると、おじさんが喜んで、こうやったらおいしいよと言い、ドリアンをくり抜き実をグラスに入れ、椰子でこさえたワインを注ぎます。
これがねー嘔吐物の香りです。
まずい。
吐きそうになる。仕方ない。飲みました。まずい。


人生を変えたタイ・カンボジア渡航 (2012/3/4)  

カンボジア.jpg2001年、何とはなしにカンボジアに行くことになり、これほど大きく人生が変わるとは思いもよりませんでした。
タイとカンボジアの国境の街アランヤプラテート。私は一人の少女と出会いました。少女は、顔の真ん中が欠落しておりました。瞼はただれ瞳孔は微か、鼻は歪んで二つの穴だけが空を見上げ、口の印象は極めて薄い。後で知る事となったのですが、地雷には足を狙うものや、頭部を狙うものなど、幾つもの種類があります。
少女は後者の頭部を狙う地雷BOUNDING MINEにやられたのだろうと思います。当時のカンボジアは、現在ほど国が整っておらず、この国境もずさんな現状でした。
タイ側は物も豊富でインフラも整っているのですが、一歩カンボジア側に入国すると、赤い砂煙と、物乞いと、特に目立つのは、四肢を失った人たちの多さです。

これはそんな国境付近で撮影した少年の写真です。
私はこのたった一歩で人生が変わりました。
この大切な一歩を積み重ね、自分には何ができるのかを模索しつつ、歩んでいきたいと誓いました。


カンボジア02.jpgこの写真はアンコールワット内の回廊での一枚。この子は大きいほうで、もっと小さい子供たちが旅行者に申し訳なさそうに近寄ってきては手を差し出し$1をせがみます。旅行者や地元の参拝者が集まるアンコールワットは彼ら物乞いの数少ない金銭の調達場所なのです。この少年は私に写真を撮らせ、その代わりにと$1を要求します。胸が詰まる写真。

自分が日本国籍を有し、自由に学問を選択し、衣食住、医療、娯楽が保証され、命の危険を感ず生活ができることがどれほど幸福であるかを身をもって体験しました。

私はこの体験により、自分がいかに幸福であるかを知りました。
わたしは、幸福をいただいた感謝の気持ちを「想いのとどくノートブック」に込めました。

旅話.JPG2008年にカンボジアのシェムリアップに訪れると、もう随分と観光地化され、物価が上がり、地元の人が中心部位に出入りできない様な雰囲気がありました。
観光客の数が増え、街は彼らを迎えるためだけに発展し、以前に見た地元の無垢な人たちはどこに行ったのか。寂しい次第で、、、
と思っていると、自転車で1時間程度の郊外に、ちゃんといました。
雨季の時期自転車で遠出をするほうが悪いのですが、結局スコールにあい、びしょびしょになりながら近くにあった露天に飛び込みました。そこに多くの地元の人がいました。なんともうれし。
なんかねーよいんです。理由はうまくいえませんが、よいんです。
あーまたここに来たいなーと思わせるあたたかさがある。
あーええなーまたいきたくなるなー


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